はるかの哲学。

学問の仏教に出会って学べたことを主に発信中。 '

一蓮托生 友人を亡くしてお坊さんに聞いた話

今回は大学2回生の時に旧友を亡くして落ち込んている時に友人から聞いた一蓮托生のお話を紹介します。

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お話自体は紹介した通りです。

私たちは死後の世界を完全に信じきれていないのが普通の感覚だと思います。

しかし、対話を通して信じきれない世界に小さな期待を寄せ、実際に心が救われたというのは話の力だけでなく、話していた彼女自身に魅力があり、それは普段見ている人間性からきているのかなぁと感じました。

誠実さが基盤にないと、何も成立しないというのは聞いた事がありましたが、まさにその通りだなぁという思わされました。

精進していこうと思います。

 

一蓮托生の最適な説明はこちらです↓

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(引用元:http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/一蓮托生)

浄土宗の開祖法然を出家させた過去

 

今日もお疲れ様です。

 

浄土宗の法然上人は耳にしたことがある人は多いのでは無いでしょうか?

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(参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/法然

主流な仏教宗派の1つですのでご存知の方も多いと思います。

 

法然上人は数々のエピソードが残されています。

その中でも法然上人が出家した契機となったエピソードが心に来るものがありますので、ご紹介します。

 

法然上人は武家出身!?●

 

法然上人の父は押領使である漆間時国です。

押領使といのは律令の令制に規定のない新設の官職であり、時代によって役割は変わります。

漆間時国の生きた時代と照らし合わせると東国の乱、平将門の乱に臨時の職とした役割を担っていただろう。(『四巻伝』などでは美作久米郡押領使とある。)

官職ですし今で言う公務員の息子のようなものなのでしょう。

 

 

 

法然上人の出家契機となった漆間時国の臨終●

 

漆間時国は当時対立関係にあった明石源内定明の夜討ちにより討ち死にしました。

その際、漆間時国は息子である法然に遺言を遺します。

 

「お前が敵討ちをすれば、遺恨が遺恨を生むことになる。よって、お前は今生の因縁を断って、極楽往生、自他平等利益を願え」

(参照:http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/法然#.EF.BC.BB.E5.A4.A9.E5.8F.B0.E4.BF.AE.E5.AD.A6.E3.81.8B.E3.82.89.E5.BB.BB.E5.BF.83.E3.81.BE.E3.81.A7.EF.BC.BD)

 

少し小難しいので、私なりに説明すると、

 

「あなたが敵に仕返しをしたら、敵もまたあなたを恨んで、恨み恨まれることになる。だから今世(仏教では輪廻転生の考え方があるので今回の人生の意味)の悪い縁を断ち切って、極楽往生、自分と他人の差がない平等な仏の恩恵を願いなさい」

 

となります。

 

●幼少期に壮絶な経験をした法然

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法然上人の幼少期時代の姿ー勢至丸ー)

(参照:http://miyatastone.jp/t_shiseki/meguri.html

父の漆間時国が死亡したのが法然上人が9歳の時ですから、今で言う小学生の時に父親の死を経験した事になります。しかも遺言までも受け取っているとなると、壮絶な出来事だったことが伺えます。

漆間時国の遺言は、20代の私でも理解するのが難しい内容なのにも関わらず、これを法然上人が理解していたと仮定すれば、法然上人はすごいなぁと感じます。

 

漆間時国の遺言から学んだこと●

 

漆間時国の遺言は、よく考えれば気づく事なのかもしれないけれど言語化できない無意識では分かっているけど何かと言われれば分からないもののように感じました。

人を恨めば人から恨まれ、恨みの連鎖が続くというのは生きていて心地の良いものではもちろんありませんし、そのような環境にいる人はそこから抜け出した方が豊かな生活を送れるのは確実です。

 

マダム・グラントさんの『GIVE&TAKE 「与える人」こそ成功する』にテイカー、ギバー、マッチャーの考え方がありますが、長期的な目線でみればギバー(与える人)が心理的な満足度が高いとあります。1つの物を奪い合う事なく1つの物を大きくすることに重きを置くため、そもそもの土台が大きくなり比例して満足度も増えていくという訳です。

自分と他人の幸せを平等に願うというのはギバーの考え方になりますから、漆間時国はこのことに気付いていたのかなぁと感じます。

私はまだまだ与えられたら同じ分だけ返すことしかできてきないです💧

与えられる人間になれるように精進していきます。

「念仏」唱え方解説。

 

お葬式など出席した際に言われた事があるのではないでしょうか?

 

 

「皆さまお念仏を一緒に唱えましょう。」

 

と。

 

私は言われた事があるのですが、仏教を学ぶ以前は南無阿弥陀と言っているのは分かるんだけれども、トーンも分からなければ何回南無阿弥陀と言うものなのかも分からないので、何となく周りに合わせて言っていました。

 

 

言うわけで、私が学んだ念仏の唱え方を解説します。

(※浄土宗で学びましたので、宗派などにより異なる可能性があります。ご容赦ください。)

 

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(参照:https://jodo.or.jp/everyday/dairy-working/#jyunen

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参考になれば嬉しいです。

 

 

 

念仏の意味についてもまた別の機会に発信できたらいいなと思います。

 

 

失礼します🙏🏻

自粛生活の孤独との付き合い方

お題「#この1年の変化

 

 

本日は私自身の事をダラダラ書き留める回にします。

 

 

新型コロナウイルスの流行で大学が全面オンラインになり、アルバイトも失った1年でありました。

 

 

大学に行けなくなったことで今思えば病んでいたなぁと思います。

 

 

メンタル面では喫茶店と酒場が大好きで週3は通っていたので、そのコミュニティの仲が良い方々に会えなくなったのが1番辛かったですね。

 

大学で学ぶ機会が減り自分では分からない虚無感に襲われ、誰にも会えないから自分が何者であるのか分からなくなる錯覚に陥りました。

 

 

 

 

     このままではダメだ!!!

  何となく自分が壊れていってるぞ!?

 

 

 

という事で本を読み始めました

 

話し相手がいないので、本を読んで本の作者と会話している気分を味わおうと思ったんです。

 

 

これはとても効きました👍

 

自粛中は普段手につけない分野の本を読むように心がけました。

なぜなら酒場に行くと自分の知らない話と巡り合うことが多いからです。

 

人は経験と先人の教えから知識を得るという考え方もあるみたいですから、本を通して知識が増えたのは自身の価値観が大きく変わりました。

 

 

しかし、自粛中とはいえ人と話す機会も少なからずあるわけです。

そして気付きました。

 

 

 

 

  伝えたいことが言語化できない😱!!!

 

 

 

 

会話する機会がなくなり過ぎて伝えたいことが言語化できなくなった訳です。

これはまずいと思い英会話を始めました。

 

自粛しなければいけない時期ですからオンライン英会話にしました(貧乏学生だから価格的に手が出しやすいオンライン英会話を選びました(-。-;)

 

1日25分コースにしたので毎日25分はお話できる環境を手に入れました。

 

英語って日本語を考えてから英語にするので話しているのは英語なんですが口から言葉はでるようになる訳です。

本当に英語できる人は日本語から英語という過程はないみたいなんですが、、、

 

そのレベルになれるように頑張ります。

 

 

あくまで私なりのやり方ですが、本と英会話のおかげで孤独感が小さくなりました。

 

自粛生活で自分の周りにいる人と環境が本当に恵まれていたなぁと感じます。

 

 

まだまだ苦しい自粛生活は続きますが孤独と付き合うことで自分自身成長することに繋がった気がします。

 

モノは見方によるところが多いと思いますので孤独も成長のチャンスだと思って進んでいこうと思います。

 

 

 

「悪人往生」何故悪人こそ往生できるのか?

 

 

悪人往生

 

 

この言葉を聞いた事がある人は少なくないと思います。

 

 

日本で最も信者数が多い仏教宗派の浄土真宗に触れた事がある人だったらなんとなく知っていると思います。

 

 

 

  なんで善人じゃなくて悪人が救われるんだ!!!

 

 

 

ってなりますよね〜。

 

 

愛用している新纂浄土宗大辞典にはこのような解説がされています↓

 

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(参照:WEB版新纂浄土宗大辞典)

 

 

 

大学で学んだ事でざっくりまとめますと、

 

 

 

 

 悪人の方が疑わず仏を信仰できるから

 

 

です。

 

 

善人というのは(善人になろうとした場合ですが、)お勉強して善人になる訳です。

仏様がこう言ってると経典に書いていたから功徳を積もう!徳が高いお坊さんのお話を聞きに行きました!!

こうなるとどんどん仏教などの知識が増えていきます。

 

 

そうなるとどうなるのか。

 

 

 

 

    本当に仏様っているの???

 

 

 

と疑ってしまうようになります。知恵をつけたばかりに信仰心に疑いが入るということですね。

 

 

 

一方で悪人の方は、仏様はいるよ〜。って言われると

 

 

 

あのお坊さん仏様いる言ってたし、仏様はいる!

 

 

と純粋に信じます。

 

 

仏を信じる心の純度で言えば悪人の方が純度が高いです。 '

 

悪人の方が往生できると言われるのはこれです。

 

信仰心に疑いが入っていないというのがポイントですね。

 

今自分にあるものに感謝をして生きていきたいですね。

 

今日はこの辺で〜。

「中道」仏教を学んできて大切にしていること。

 

皆様今日もお疲れ様でした。

お疲れでしょうか?

 

コレが私の初めての投稿になるので、仏教を学んできて(まだまだ齧る程度ですが、)大切にしている事を紹介します。

 

 

 

それは、、、

 

 

「中道」

 

 

中道とは、簡単に言うとやり過ぎも良くないし、やらなさ過ぎも良くない。

 

極端であることはダメ!中間をいきましょう。

 

 

という考え方なんですね。

 

一応参照貼っときます↓

 

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(参照:WEB版新纂浄土宗大辞典)  

 

 

 

 

何故「中道」を大切だと思うのか。。。

 

 

 

 

 

「中道」を行えば、豊かな生活に近づくから。

 

 

 

 

ん???どう言う事???ってなるよね。

 

 

 

あなたはお酒が大好きだとします。

定期的に集まるお酒好きのメンバーで居酒屋で飲み明かし、朝になって帰りました。

次起きると猛烈な吐き気と頭痛。

しかも昨日のメンバーからLINEが来ていてメンバーはとても怒っていた。

 

 

この場合、お酒好きがこうじて仲間とも知り合えた訳ですが、お酒で仲間を失っています。しかも体調まで崩している。

 

一体これの正解は何なのか。

 

 

「自分の飲める量を把握した上で適度にお酒を飲む」

 

 

こう考える人が多いのではないでしょうか???

 

この 適度に を守ってさえいれば楽しくその日が終わっていたはずです。

 

 

この 適度 を現代版「中道」と考えれば

中道って大事だなぁ。。。って思います。

 

 

他には不眠不休で働いていれば収入は増えるかもしれませんが、病気にかかってしまえば±0、もしくは資本である体を壊しているのでむしろマイナスですし、怠け過ぎれば自分の見聞がいつまで経っても広がらず自分の人生を味わえ尽くせない可能性がでてくる。

この問題も 適度 という「中道」をとれば解決できると思います。

 

こうやってほとんど何事にも通じてる「中道」。

 

 

時々思い出してみるようにしています。